山中 今回この「新版生活科教科書(以下、教科書)」をつくるとき、私たち制作に関わった教員が真っ先に考えたのは、「先生も子どもも、楽しく使える教科書にしよう」ということでしたよね。その思いが随所に生きた教科書になったと、私は思います。
たとえば写真。この教科書に掲載したのは、本当の実践のなかで撮った写真ばかり。だからどれも、すごくリアルですね。子どもたちが見ればきっと、「わたしたちも、こんなのやってみたい!」って思うだろうし、「よし、自分たちはこの写真の子たちの上をいってやろう!」と挑戦してくれれば、教科書をつくった立場としては、もっとうれしいですよね。私はこの教科書が、そんな存在になるといいなと思ってます。
石堂 たしかに写真へのこだわりは、すごかったですよね(笑)。下巻30・31ページの、野菜づくりの小単元に、野菜づくりの名人を囲んで、子どもたちがナスやトマトの世話のしかたを、教えてもらっている写真がありますよね。野菜名人が、「わきめをつむんだよ」と説明しながら、実際にナスの脇芽摘みをしていて、子どもたちが興味津々で見守っている。
2年生って、"脇芽"なんて考えてみたこともないじゃないですか。自分たちが植物を育てるときだって、芽という芽はあたりまえに大事だと思っているはずです。
でもこの写真を見た子どもたちはきっと、野菜名人の言葉をヒントに、自分たちも写真の中に入り込んで考え始めます。「そうか、そうやって、大きな実ができるようにしてるんだね」とか、「なぜ、わきめをつむと、大きな実がなるんだろう?」とかね。写真は、考えるきっかけになるんです。
で、もっとよく見ると、31ページで脇芽摘みに使っているハサミは、次の32ページで、子どもたち自身が野菜の収穫に使っているものと、まったく同じものです。そういうつながりも意識して写真を選んでる。だからこの小単元は、活動の流れがより理解しやすく、より身近なものになったと思います。
小笠原 今回、写真を選ぶ中で、改めて見ると、本物の実践写真とモデル写真とでは、子どもの表情も動きも、まるで違うんです。実践写真は、子どもたちの真剣なまなざしや素直な表情がたくさんです。しかし、モデル写真は、演出が入っているのがわかるんですよ。見比べてみて、明らかな違いを感じました。
石堂 はい、だからこの教科書を使う子どもたちは、写真の中の友だちと、同化していく。そしてそういう気持ちになると、自然と活動がイメージしやすくなるんじゃないかな。
八木 私は下巻で扱う「町たんけん」の写真選びをしたんですけど、とにかくいっぱい写真があって、もう大変(笑)。下巻17ページには、街の図書室を訪ねた子どもたちが、司書の先生から「おはなし会」の説明を聞いている写真があります。この先生がとても表情豊かに話される方だったので、あがってきた写真も一つひとつ表情が違うんです。そのなかから、「どんな話を聞くことができるかな」という説明文に一番合う1枚を、もう一人の先生と一生懸命に選びました。大変だったけれど、とにかく楽しい作業でした。
石堂 イラストについても、かなり意識しましたね。教室環境が見えるようにとか、学習の見通しがもちやすいようにとか。下巻18ペー
ジの板書のイラストは象徴的です。クラスで一人の子が発表をしてるんだけど、聞いている子が発表している子に目線を合わせていたり、「きっとこういう意味だよね」と隣の子と話す子がいたり、教室のリアルな動きを表現したつもりです。
山中 いま石堂先生が例にあげた下巻18ページのイラストって、「町たんけん1」の単元で、地元の図書室を見学したあと、教室で振り返りをしている場面ですよね。発表をしている子どもの後ろには、大きな黒板が描かれていて、だいぶ授業が進んでいるのでしょう、みんなの意見がだいぶその黒板に、書き出されているのがわかります。
これを見た子どもたちは、「こんなふうに、思ったことを整理すればいいんだ」とわかるでしょう。つまりイラスト自体が、考えるための技法をちゃんと見せてくれている。
「考えなさい」と言うだけでは、子どもは何をどうすればいいかわかりません。考えるためのスキルを小さい頃から教えることは、生活科では非常に大事です。石堂先生も、「考えるための技法を学習活動に取り入れる」という文章を、「生き活きうぃーくる」に書いておられますけど、こういう具体的な技法を教えることが、まず生活科で標準になり、さらに他の教科でも応用できるようになったらいいなと思います。
八木 私は、イラストが載っているページは、先生のためのページだと思ったんですよ。「授業をつくっていく上では、こういう板書が必要なんだよ」って、多くの先生に理解してもらうためには、すごく役立つと思うんです。
山中 そうですね。先生の役割というのは、子どもに何かを教え込むことではない。じゃあ先生は、どうすればいいのか。この教科書には、実はその具体的なやり方が示されている。
上巻の84・85ページ、「あきのもので つくってあそぼう」という小単元には、どんぐりや松ぼっくりで、いろんなオモチャをつくって楽しそうに遊ぶ、子どもたちの姿が溢れています。その写真を先生がクラスに見せて、「どう思う?」となげかければ、それだけで子どもたちから発信する形の授業が始められます。子どもたちはこういう写真から、本当にいろんなことを発想しますから、写真一枚見せることからでも、授業はできるのです。
石堂 それにこういう活動は、幼稚園や保育所、こども園でもよく取り入れているから、子どもが過去の体験を思い出すきっかけになります。子どもたちから、「あっ、これやったことある!」なんて言葉が飛び出してくると、まだ経験の少ない先生も、「なるほど!」と、授業をつないでいけます。この教科書は、そのあたりもよく意識して、先生をサポートするようにつくられている。だから子どもの「つぶやき」も拾いやすいと思います。
小笠原 子どもたちが思いや願いをもつことができるような環境づくりは、私自身、日頃から大切にしています。「あきのもので つくってあそぼう」の活動をするとき、拾ってきた木の実や葉っぱですぐオモチャをつくるのではなく、みんなで何日もかけて、少しずつ秋のものを集めてみるのもいいと思います。するとやがて、「うわあ、こんなにいっぱいになったよ! これで遊びたい!」という声が、子どもたちから飛び出してくる。そして素材で遊んでいるうちに、そこから何かをつくったり、あれこれ工夫したりするようになっていきます。そういう流れをつくるために環境を変えていくことが重要だと思います。
石堂 そういう点でも、この教科書には、子どもたちへの学びのヒント、先生への授業づくりのヒント、その両方についてふんだんな仕掛けが散りばめられていますよね。
一つは写真やイラストの「吹き出し」ですね。「あきのもので つくってあそぼう」では、いろんな形のドングリごまで、子どもたちが遊んでいる写真が使われています。その中の子どもの一人に「まわりかたが ちがうね」と書いた吹き出しがついている。これが「つぶやき」です。
この吹き出しを読んだ子どもたちは、「ドングリによって、まわりかたがちがうらしいよ。本当かな?」と考えたり、自分でやって試してみよう、丸いドングリと細長いドングリで、回り方を比べてみようと、思ったりする。試す、比較するというのは、考えるための技法です。教科書でも、ドングリごまの回り方の違いに気付いたところで、別のイラストが「いろいろな形や大きさで試してみよう」となげかけています。吹き出しが、次の学習へのヒントになっているんです。
だから先生たちは、そういう子どもの反応を見逃さないよう、ぜひ吹き出しにも注目してほしい。経験が少ない先生でも、吹き出しを注意して見ていくと、「そうか、子どものこういうつぶやきを拾えばいいんだ」とか、「ここで提示されているのは、考えるための技法だな」とか、簡単に気付けると思います。
八木 この小単元に出てくる最初の写真、上巻の84ページですが、ここで子どもたちは、ドングリだの葉っぱだの、まだオモチャになっていない"材料"そのもので遊んでいます。子どもって、ここから遊びを始めるんです。若い先生たちは、自分たちも生活科を経験して育って来ていますが、聞いてみると、オモチャをつくったことは覚えていても、材料で遊んだことは覚えていません。若い先生にもベテランの先生にも、「子どもの遊びは、材料に触れるところから始まっている」と思い出してもらうために、とても参考になるページだと思います。
石堂 この小単元を編集するにあたって、私たちみんなが非常に意識したのは、「動き」なんですよね。子どもたちは、転がす、回す、手に持って振るといった動きに注目するだろう。そこに「もっと!」につながるヒントを付け加えると、さらに工夫やこだわりが出てくるんじゃないかと考えた。そうしたヒントを、吹き出しやイラストを使って、読み取りやすいようにしたつもりです。
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